ナチュラル・デス

自然に還る整体

色々と述べれば述べるほど
感覚で捉えていることの真意より
言葉とした上辺が伝わってしまうことが
あるのだなと感じています。

極力、言葉にしているつもりですが
言葉にしていることが全てではなく
発信は一つでもお一人お一人
捉え方は様々だと思いますので
時には個別に対応することも
必要だと思っています。 
そんな中で

ナチュラル・デス

という立ち上げたものについて投稿します。
強い言葉のように感じれらるかもしれませんが
ナチュラル・デス=自然に死にゆく
ということです。

いつ死んでも後悔はない
と常々思っている私ですが
目の前に死がくれば
痛みで苦しむのは嫌だなと思います。
ですがある手術の経験から
そこに誰かの手当てがあれば
辛さが緩和されるだろうと気付きました。

その根源を思い返すと
幼いときの喘息にあるように思います。

「死にたい」という言葉を
幼いときに両親の前で
たくさん発してきました。
喘息発作が出ると息を吸うことができず
呼吸ができず眠ることもできず
苦しくて辛くて
死んだほうがマシだと思ったからです。
今になり、親の気持ちを思うと
自分の小さな子供が
死にたいと言っている状況が
両親にとっても辛いことだっただろうと
申し訳ないと思います。
「死にたい」という言葉は
幼い頃に言い尽くしたようで
大人になるにつれ、「死にたい」より
「いつ死んでもいい」ように
後悔しない人生を送るようになりました。

そして、喘息発作が出た時に
母が背中を撫で続けてくれた記憶があります。
たいてい発作が出るのは
夜中から明け方でしたから
日中仕事をしていた母にしたら
疲れて体を休めている時に起こされるのは
辛かったはずです。
そんな母を起こして
母の手で背中を擦ってもらうと
不思議と息が楽になるような
安心がとてもありました。

そんな経験があり今の私の手技にも繋がり
そして【ナチュラル・デス】にも繋がりました。

死んだ経験、記憶がない私たちですから
「死」とはこうです!ということは
言えません。
ですが「死」というものを特別視せず
考えて眠れなくなるものではなく
人生の中に必ず訪れるものとして
もっと気楽に話す場があっても
いいなと思っています。

また、私の仕事の一環として
お客様を良い状態に戻すだけではなく
死ぬまで生涯のお付き合いができること
自然に死にゆくということを選んだ方に
最期まで手技を通して携われることに
これからのセラピストとしての意義を感じています。

今はラジオアプリ「stand.fm」で
そんな配信をしていたり
お話会を開いたりしています。
こんな世界観でよろしければ
ぜひご参加くださいませ。