ホスピスのボランティア活動

今年初めての投稿です。
インスタグラムの投稿が簡単なので
そちらではポツリと発信していますが
こちらでは長文での投稿ができるので
久しぶりにご報告がてら投稿します。

昨年の夏、秦野にあるホスピスで
ボランティア活動をしていました。
コロナ禍でその活動を知り申し込んでいたものの
状況的に活動休止中で
やっと受け入れ再開とのご連絡をいただいて
再度申し込みをしたのです。

ボランティアの活動内容は
育てているお花を摘んで小瓶に活けて
各病室や休憩室、ロビーなどに飾ることや
ティータイムのお茶の準備やご提供
折り紙などを使った工作などでした。

植物観賞が好きな私にとって
お花の剪定や活け方は感性のまま自由というこの活動が楽しかったです。
色合いやバランスは飾られる場所や目にする方のことを想像して活ける。
豊かなお庭で随所に育てられた植物は
緑の植物だけでもシンプルにさわやかなエネルギーを感じました。
時には、亡くなられた方の枕元に添えるローズマリーの束を作る時もありました。
先輩ボランティアの方々の思いなども見聞きしながら作る束は
心がこもり、こういう温もりを最期まで大切にすることの意味を再認識しました。

そこのホスピスでのボランティア活動は
ボランティアとはいえ
毎週決まった曜日の午前から夕方までしっかり出られる人が求められ
残念ながら私の場合は活動規約には合わずに
本採用とまでいきませんでした。
残念には思いましたが
そこで活動できないことも意味のあることだったのでしょう
と思います。
短いながら一緒に活動させていただいた方々に感謝しています。
特に土曜日の方々とは笑いも交えていいお話を聞かせていただきました。
ありがとうございます。

西洋医学の環境の中でできることは
まだわずかのように感じていますが
色々な垣根を越えて様々な立場の方々と携われることを願います。

癒やしというもの

癒やし。
自分自身を癒したいという方は多いのでないかと感じています。
その癒やしの方法はたくさんあって。
例えば私で言えば、それはお散歩中の緑と出会うことであり
お花を愛でる瞬間であり、美術鑑賞であり、笑いであり
言葉であり、音楽鑑賞でもあり、読書でもあります。
心が豊かになること、落ち着くこと、ふと力が抜けること。
私のお仕事も癒やしのお仕事、リラクゼーション業ですが
何もリラクゼーションサロンでのみ癒やしが起こるわけではありません。
ただ、言えることは
癒やしってこういうことだよ
ということを体感していただくことはできると思います。
自分自身を癒したい。
けれど癒やしって何だろう。癒されているのかな?
と感じている方には
癒されること、癒やしというもの
その感覚を体感していただくことはできます。
その感覚をご自身で体感できれば
あとはどんな時にどんなものでその感覚になるのかを
色々と体験して見つけていけば、実は
お金をかけずとも
贅沢をしなくとも
時間をかけなくても
一人でも
癒やしは起こるのだと分かっていくでしょう。
癒やしはあなたの近くにすぐそばにいつでもあります。

人生=登山だと思う日々

ラジオ配信アプリに
「あなたの山の景色を教えて」と
録音し終えました。
もうすぐ配信予定です。

先日お会いした
STR東京のメンバーのお一人の先生が
出会った人、お客様の花が咲く瞬間を見ることが好き
とおっしゃっていました。

この言葉が通じる人、分かる人は果たしてどのくらいいらっしゃるでしょうか?

この意味を辿ることにも繋がるので
人生=登山について綴ってみます。
私は人生を山に例えます。
山を登ることで道中に見ることができる景色がある。
今辿りついた場所から見ている景色がある。
それは麓にいては決して見えなかったであろう美しい景色です。

麓ではたくさんの人で賑わっています。
たくさんの人が喜びそうなことが無限にあって
たくさんの人がいることで安心感があります。
私は整体業やりラックゼーション業界にいますので
肩がこった、腰をやってしまった、むくみが辛い
そんなお客様に対して
ひどくこってますねー!頑張り過ぎですよ!
腰の痛みにはコレがおすすめですよ!
はたまたオイルでむくみを流しましょうか!
などとあの手この手で
お客様とのやり取りをして
目を引きそうなチラシを作ったり
あのお店にはないサービスを考えたりと
麓では商いを楽しんでいました。。

ところがある日
何かが引っかかりだしたのです。
評判がいい施術者さんたちはここにはたくさんいる。
お客様も喜んで、頼りにしていらしてくださる。
毎週、毎月、定期的に
疲れが溜まったお客様はやってきて
その疲れを癒やす。
けれどこれは商いとしてループしているだけで
お客様が癒えているとは言えないのではないだろうか。
誰かの役に立っているのだろうか、と。

そこで私は
違和感の正体を探りに
麓から出て登りだしたのです。

私の疑問や思いを聞いて
こんな道があるらしい
と事前に教えてくれた知人もいます。
山を登る途中で
別のルート、別の山から登ってきた人とも出会い
時には情報交換をして
その人たちが登ってきた道という景色を教えてもらい
だんだんと出会う人が交わる中で
私の違和感が解消されていき
どの道を辿れば
私が探している答えにたどり着く道なのかが
見えてくるようになりました。

実際に登ってみると麓の景色も
ずいぶんと俯瞰して見えるようになり
麓にいた時の悩みや問題点が
少しずつ解消されていくのでした。

そして登れば登るほど
高山植物のような
孤高で美しい自然と出会い
見たことがない景色を
見ることができるようになってきました。

時には疲れて山の途中で
休むこともありました。
道に迷って
誰かに教えてもらうこともあれば
なんとか自分で道を探し出すこともありました。
同じところに進む人と
一緒に歩くこともありました。

そして今たどり着いているここは
とてもとても美しい景色が見られる場所です。
私の違和感の答えがここにありました。
ここにいる人は
麓に比べるととても少ないけれど
みんなが同じ美しい景色を見ています。
そしてそれは同じ景色ではあるものの
各々の目で各々の感性で
好きな角度から好きな場所から
見る十人十色の美しさです。

登れば誰でも見られる景色ではあるものの
この山を知らなければ
そしてこの道を知らなければ
たどり着けない場所。
なので私はここの景色を
私から見たこの景色を
こうして文章にして、ラジオ音声として
表現してみようとしています。

ここにくれば
言葉はいらない。
そして
この景色を見た人としか
語れないこともある。
最初に書いた
「出会った人の花が咲く瞬間を見ることが好き」
もそのうちの一つでしょう。
整体と花
この繋がりが分かる人はきっと
この景色を知っている人。
今ここにいる人かもしれないですし
かつてここにいた人かもしれません。

表現することに努めますが
直接STRを受けていると
より分かりやすく
景色を見ることができます。
私のお客様の声がその一つでしょう。

美しい自然の中にいること
それが癒やされて豊かに生きることに
繋がることだと感じています。